en-gのスキーな毎日

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スキー昔話 8

《ホットドッグの起源》
ウィキペディアによれば、19世紀の中頃からアメリカではフランクフルトソーセージのことをドッグと呼ぶ俗称があったんだそうですね。それはあの細長いかっこうがダックスフントに似ていたことに由来するとあります。起源は19世紀後半のニューヨーク、温かいパンにこれを挟んでホットドッグが誕生したってわけです。
ではなくてホットドッグスキーの話です。
スキー雑誌などによればアクロバティックでトリッキーなスキーがアメリカで流行り始めたのは1960年代後半の頃のようです。このような滑りをホットドッグと呼ぶようになったのもきっとこの頃のことかと。
いつ誰がホットドッグと呼んだのかスキー関係の著作や雑誌、またネットなどで調べたのですが杳として不明です。
『SKIER'75』に掲載されている山岸行輝氏の記事によれば、1970年代に入るとアメリカの有名スキー場ではことごとくホットドック大会を開催するようになったと記されています。
ウェイン・ウォンが印象に残っています。
1970年代になると日本のスキー雑誌にもホットドッグの記述が頻繁に見られるようになります。この頃はどこのスキー場もゲレンデはコブだらけで、コブをかっこよく滑るのはホットドッガーのみならず、中・上級者にとってスキーを楽しむための必須の技術でもあったのです。
基礎スキーの方ではオーストリアから直輸入したヴェーレンとかいうウンコするみたいなスタイルでコブを超えていく滑りが疫病のように流行りました。きっとオーストリアの最新技術が海を越えてくる間に少し変形してあんなふうになってしまったのかもしれません。
閑話休題
1979年、ホットドッグスキーはフリースタイルスキーとしてFISでレギュレーションが定められ、『モーグル』『エアリアル』『バレー(アクロ)』にカテゴライズされます。そしてそれぞれのルールが決められて今に至るというわけです(現在アクロはFISの正式競技からはなくなっています)。
ちなみに79-80ワールドカップモーグルの総合優勝は男子がグレッグ・アサンス(カナダ)、女子がヒラリー・インギッシュ(アメリカ)です。
どんなスキーヤーなのか、亀の旦那知ってますか。
その後モーグル界にエドガー・グロスピロンというあの伝説のスキーヤーが現れます。
当時日本では山崎修選手が活躍していました。なんといっても世界3大修のひとりです。
で、ここらからは昔話ではなくて、ごく最近の話です。年寄りってのは「こないだのことなんだけど…」なんて話し始めると、それが10数年前の話だったりするわけですが。
1998年、長野オリンピックが開催されます。里谷選手の優勝シーンやジョニー・モズレー選手のグラブヘリの映像がこれでもかとテレビから流れ、スキー界にモーグルブームが到来します。
エアリアルやアクロに比べて比較的とっかかりやすいモーグルは日本各地で草大会が開催され、わが会津でも『磐梯7カップ』や『9カップ』など一時は大会目白押しでした。会津高原高畑では毎年有名選手を招いての大会が開かれ大いに賑わったものです。
時代は流れて今日、雨後の竹の子みたく各地で行われていた大会は姿を消し、各スキー場にあったモーグル専用バーンもめっきり少なくなってしまいました。
パークなどはそれなりに賑わっていますがそれも圧倒的にボーダーの方が多勢で、ボーダーの行列の中に挟まれて順番待ちをするのはちょっといやど〜もな感じです。
と、ちょっと寂しい話で終わりそうですが、ところがどっこい! ホットドッグスキーはフリーライドと名前を変えてディープパウダーやツリーランやはたまた断崖絶壁のような急峻な斜面で元気に生息しています。
今後、絶滅危惧種としてレッドデータブックに載らないようにどんどん若者に参入してもらいたいと思う今日この頃のen-gです。

※「当時のスキー雑誌」「ひじかたSSのホームページ」「ウィキペディア」等を参考にしました。