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大塩平左衛門のこと

先日、金沢峠行きのシャトルバスに乗って雄国山に登ってきました。下の写真はそのときに撮ったもので、雄国沼の水を麓の田畑に引くための水門とその水番小屋です。この沼の水が山の下を貫く隧道を通って麓の村々の田畑に届けられているのです。隧道工事は1657年(明暦3年)、耶麻郡大塩村に住んでいた大塩平左衛門によって為されました。

10年以上も前のこと、地元の人も配役されて大塩平左衛門の物語が喜多方プラザで上演されたことがあります。山麓に住んでいるので平左衛門の名前は子供の頃から聞いていましたが、私財を投げ打ってまでこの難工事を完成させた人物を詳しく知ったのはこの時が初めてでした。そして今もその恩恵を受けて田畑が潤っているのだと思うと改めてその偉業に頭が下がります。
大塩平左衛門(?〜1686)。
わがまち熊倉刊行委員会編『歴史を今に わがまち熊倉』によれば、当時山林原野であった雄国山麓を開田しようとしていた代官職父の意を継いで、平左衛門は藩主の許可を得てこの事業に着工します。これが1657年(明暦3年)のこと。そこから3年に渡る難工事を経て、長さ180間、高さ5尺、横幅4尺の隧道が完成します。原野が開田され水路が整備されたことで、近郷のみならず遠隔地からの入植もあったと記録されています。
しかし私財を投げ打ってまで完成させた偉業にもかかわらず平左衛門は藩からあらぬ疑いを掛けられ、その後何度復権を願い出ても認められないまま1686年(貞亨3年)死去したとされています。
今も農繁期には雄国の人たちが交代で小屋に泊まって水門の管理をしているといいます。山麓に広がる農地は平左衛門の偉業と、何世紀にも渡って受け継がれてきた地域の人々の努力によって潤っているのです。