en-gのスキーな毎日

http://kitakaze.yukigesho.com/ mail en-g2008@docomo.ne.jp

(続き)会津の史跡を巡る

天正18年、伊達政宗に代わって会津の領主となった蒲生氏郷は城下を整備し殖産振興をはかり、会津に大きな経済効果をもたらしたといわれています。
氏郷は「レオ」の洗礼名を持つキリシタン大名でもありました。
しかし時代が変わりキリスト教が禁止されると、会津城下でもキリシタンは弾圧され刑に処されたのです。
市の北西の町外れにキリシタン塚があります。
市内神指町薬師川原には藩の処刑場があり、後年ここから人骨が見つかったことから昭和37年に弾圧の犠牲者を供養するため塚が作られたのだそうです。

キリシタン塚 ↓

涙橋 ↓

近くにある湯川に架かる橋は、刑場に引かれて行く者が最後に家族との別れを惜しんだところから「涙橋」と呼ばれています。